昨秋 福島県会津の裏磐梯を訪れました。
大阪から、新幹線・東京経由で、郡山からはJR磐越西線で猪苗代駅への経路です。
駅には野口英世博士の生い立ちから世界的医学者になるまでの物語が記されています。
猪苗代駅は磐梯山の表(おもて)側にあり、駅から、なだらかな美しい稜線が見られます。
バスで宿に向かう道中は会津鶴ヶ城の前城・亀ヶ城、酒蔵に続き紅葉の山々が現れ、いよいよ関西から来たという旅情がわいてきました。
宿は桧原湖の湖岸にあり、風情よしです。さっそく露天の温泉の長湯を味わいました。
翌朝の朝食では、温泉卵のたまごかけご飯を2杯も食べました。
たまごの美味しさとコメのうまさは忘れられません。普段は茶碗の三分の一杯も食べない我ながらの仰天でした。
食後、五色沼の1時間の散策に出かけました。
磐梯山の1888年(明治21年)の大爆発により降り落ちた噴石で長瀬川がせき止められてできた300近い湖と沼の一部です。
水の色は湖水に溶けているイオンと底の砂で色とりどりです。
青、緑、透明、乳白色の組み合わせで多色多様です。
五色沼の後、透きとおる湖水の桧原湖は遊覧船で、地酒を呑み、つき立て美味のずんだ餅を食しながら景色にひたりました。
午後の2時間は地元観光タクシーを利用して、スカイウェイを走り、全山紅葉とふもとの猪苗代湖の絵のような光景を楽しみましたが、運転手さんとの会話の中で、特に野口英世博士の話に感銘を受けました。
博士は明治9年生まれで、維新が明けて日本は科学など黎明期以前の社会です。
博士のお母さんは猪苗代湖の産物を17kmも離れた会津若松まで、往復徒歩で行商をされたそうです。
その子が医学関係の学校の用務員をしながら独学でしばらくして教壇に立ったわけです。
英語や中国語も習得し、とうとうアメリカ合衆国ロックフェラー研究所の研究員になりました。
寝る間も惜しむ研究者で、座右の銘は忍耐です。
寺子屋の流れの時代に東北山間地に生まれ、微生物の存在や目の前に起こっている現象を理解して、多くの病原菌を発見し、その謎を解き明かし、ノーベル賞級の学問を究めたわけです。
超人のような忍耐強いお母さんに育てられた結果の桁違いの努力により、成功、名声、尊敬を受けたわけです。
わが身の置き場はありません。
yutaka